6/4、妥協

夕方までバイトで疲れていたので今日も無思考Word化運動。駒尺喜美伊藤整の言説をちょっと再確認。伊藤整が南山寿について言及している部分があったので少し読み返す。確かに小説への企図が却って下手打ってる感じがするけど、うまく言葉にできない。初期作品集収録作品との比較は面白そうだと思う。牛乳屋のシーンと山高帽子。教官の訪れと遊就館

6/1②、資料読み

自然主義のレトリック』より「第七章〈虚子の写生から小説へ〉の意味」読み進める。虚子が試みた写生文から小説への接続について整理されていてありがたい。p231以降で写生文の性質についての言及があるが、これも考えていたこと(一人称・現在・時間の単線性)がちゃんと整理されている。すごい!当時の言説を踏まえてここを引用していいのか。

後半部のテキスト分析も参考になるように思う。明日はこれの後半と、同時代言説の振り返りをする。Wordにまとめるんじゃ!

6/1、決意する

1月5日にすべてを投げ出して、それから一文字も卒論を書いていない。遊んでいたら冬が終わり、春が来て、長雨が降り、初夏になった。さっき先生と話していたら「学生時代は4年生の4月に卒論を書き終えていた」とかなんとか仰っていて、我が身を振り返り戦慄した。やるぞ。やる。今日からやる。

最近実家にいる母と電話するたび、その近くで静かに座っているだろう祖母の気配が気になる。今年で91になる彼女、留年することを報告した時、誰よりも憤懣やるかたない様子で「あんた早く書き終えなさいよ。あたしに絶対読ませなさい」と語気を強めていた。ハイ、勿論、夏には書き終えられるのではないでしょうか、頑張ります、適当にいなしたのがもう半年前、今日から6月、もう夏である。頭を抱えて床を転がっている。

などと言ってみるが、焦っても仕方ないのはもう経験済みで、必要なのは小さな積み重ねである。コツコツやることを面倒くさがらないことである。「きっと最後に大どんでん返しが」などと期待を持たないことである。悩みは具体的に。実際的な解決を。

取り敢えず、ローテーブルで快適に勉強できるよう、無印良品で座布団を買ってきます。

斜陽

人間は、万物の霊長だなんて威張っているけど、ちっとも他の動物と本質的なちがいが無いみたいでしょう? ところがね、お母さま、たった一つあったの。おわかりにならないでしょう。他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。いかが?