11/24(回想)

幼稚園の年長くらいから18歳まで、女しかいない家に住んでいた。家にいる年上の女たちは「女らしく髪を伸ばしなさい」とか「股を開いて座るな」とか「胡坐をかくな」とか「汚い言葉遣いをするな」とか、いちいち私に注意したけど、「女であるから」という理由で実際に何かを強制したことはなかったと思う。強いて言うなら、日が暮れきった後にひとりで出歩くことはほとんど禁止されていて、高校に入っても歯医者や眼医者や美容室にいちいちついて来た。これらはどちらかというと過保護や過干渉に由縁するものだという気がする(元をたどれば私が女であることと決して無関係ではないだろうけど)。

彼女たちは他人からどう見られているかをすごく気にして、女性としての規範を深く内面化していた。一方、家の中では当たり前のようにそれを破ったし、ほとんどの時間を家の中で過ごしたから、結局実践するより破棄するときのほうが多かった。だらけた姿勢でテレビを見たり、休日に着替えをしなかったり、部屋のなかも散らかしっぱなしだった。口では「こんなのははしたない、だらしない」と言いながら。子どもに対しても同様で、私や妹はあの家でほとんど火を使ったことがないし、アイロンもろくにかけたことがない。手伝っていた家事なんか、朝にポストから新聞を取ってくるくらいのものだった。「なんにも手伝いやしないんだからアンタたちは」と冗談交じりになじられて、「じゃあやるよ」と答えたら「余計に時間がかかるからいい」と断られるのが日常だった。特にうちの母は「子どもに不自由をさせてはいけない」「不満足を覚えさせたくない」と強く思っていて、私は彼女がさしかける傘の下でろくに働きもせず、ものを考えず、決して強いられないと知っている「~しなさい」を適当に聞き流しながら、泰然たる十数年間を過ごした。

年上の女たちの考え方は私にとっていささか窮屈で、その点ばかりに目が行って反発を覚えたし、毎日のように文句を言った。が、生活は実のところおおらかでだらしなく、私はその恩恵に充分すぎるほどあずかっていたと思う。矛盾だらけのあの家のありようが、私にも大きく影響した。自分の下宿に他人を招くのが長らく苦手だったこと、そのくせひとの家でくつろぐのが大好きなこと。

私は家を出たあとにも色んなものを目にして、耳にして、自明だと思っていた幾つかの規範を不要に感じて捨て去った。現在の境遇や人間関係が手伝って、女性性との付き合い方について考え込むような出来事はしばらく起こっていない。前よりもっとずっと楽ちんだ。そのうえで、自分が住んでいた家のことをなるべく正確に思い出して、私はあの家に今も暮らしている年上の女たちが、日の光の下で安心してだらしなく過ごせる世の中であってほしいと思う。年上の女たちは私の外見や外での振る舞いをみて「好き勝手にやりすぎだ」とか、「もっと女の子らしくしなさい」ということがある。どうやら本気で言っているらしいのだ。私の装いや振る舞いなんか、彼女たちには関係ないのに。また、家の中では「女らしさ」こそ意識せず振舞えたけど、年上の女たちの中にある「母親らしさ」はもっと深く根を張っていて、私もそれを利用して、当然だと思っていた。私たちはもっと楽になれるはずなのだ。建前からも理想像からもどこぞの川辺の草むらに敷いたブルーシートで、あの家にいた女四人で寝転がれるような世の中であればいいなあと思う。そういうあまりに幼稚な願いを、私のフェミニズムの入口とする。